ひとくちで、自然を思い出す。

はじまりは、自分で飲む一杯でした。
珈琲を淹れて飲む時間が、何かを考えるでもなく、ただ湯を注いで、立ちのぼる湯気を見ている。
ただ、珈琲と自分の時間。
自然のなかにいるときと、同じ感覚。何者でもなく、ありのままでいられる時間。
その時間を、大事にしたい。

田舎の山あいに移り住み、近くの山へ木をいただきに行き、薪に割り、乾かす。竈門、網、薪小屋、全て自分で作りました。その火で豆を焼く。
手間は増える一方ですが、その分、一杯を飲む時間が豊かになっていく。山も、土も、火も、全部が一杯のなかに入ってくる。
竈門焙煎は、そうして始まりました。
同じ味は、二度と生まれない。
便利な時代に、あえて竈門を選ぶ。
焙煎の日に向け、薪を割るところから始まります。使うのは桜の薪。

その日の風、気温、薪の乾きで、火の立ち方が変わります。乾きが足りない薪は煙ばかり出て、火力が上がらない。薪の量と配置を変えながら、火を整えていきます。

機械は均一を目指し、竈門は揺らぎを受け入れる。
豆の音と色と香りを感じ、焙煎します。
自然のすべてを受けながら生まれる一杯は、その日限りの表情を持つ。そこには二度と再現できない、その瞬間だけの豊かさがあります。
月に一度、満月の夜に焼く珈琲があります。
古来から人は、月の満ち欠けに何かを見てきました。農業も、祭りも、祈りも、月とともにありました。

その夜にだけ火を灯し、空気と静けさごと豆に焼きつける。満月便と呼んでいます。
数量をごく限って、月に一度だけ。飲んでくださる方と、同じ夜を分け合うような気持ちで焼いています。
知って飲むと、味が変わる。
「丁寧に作られた感じがする」
そう言っていただいたことがあります。
この珈琲がどう作られたかが、飲んだ人に伝わった。その事が、いちばん嬉しい言葉でした。

同じ豆でも、それを知って口に運ぶとき、ただの一杯が少し違うものになります。
竈門焙煎が届けたいのは、その一杯に流れている時間です。
効率を重視する社会から少し身を離れ、ただ、飲むことに戻る数分。
そこで人は静かに、本来の自分自身(じねん)へ。